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プーシキン美術館

■ プーシキン美術館とは

[プーシキン美術館]

正式名称は「国立A.S.プーシキン記念美術館」といいます。
1912年に、モスクワ大学付属アレクサンドル3世美術館として開館しました。
当初は教育機関付属の美術館でしたが、ロシア革命を期に「モスクワ美術館」と改められました。
1937年、ロシアの文豪プーシキンの没後100年を記念して現在の名称「国立A.S.プーシキン記念美術館」に改められました。

 所蔵品は、モスクワのトレチャコフ美術館が管轄するロシア美術以外のあらゆる分野に及び、絵画、版画、彫刻などをあわせたその数実に50万点以上。
古代エジプト・メソポタミアやギリシア・ローマ美術にはじまり、ルネサンスから近代までのヨーロッパ絵画まで概観できる幅の広さが魅力です。
サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館がかつての宮廷文化を継承しているのに対し、プーシキン美術館のコレクションの成り立ちに、貴族や市民が大きく関わっています。

■ プーシキンとは

[プーシキン]

 アレクサンドル・セルゲービッチ・プーシキン(Александр Сергеевич Пушкин, Aleksandr Sergeyevich Pushkin, 1799年6月6日(旧暦で5月26日)-1837年2月10日(旧暦で1月29日))。
ロシアの詩人・作家。
近代ロシア文学の確立者であり、ロシア文学史上最高の詩人。
プーシキンははじめて作品のなかに積極的に口語を取り入れて独自の語りの文体を作り上げ、近代文章語を確立した。
プーシキンの作品は今日もロシアで広く愛読されている。

プーシキンの生涯

モスクワ生まれ、ペテルブルク郊外のツァールスコエ・セロー(現在はプーシキンと呼ばれる)にあったリツェイ(学習院)での公開試験で朗読した自作の詩『ツァールスコエ・セローの思い出』がデルジャーヴィンに認められたのを機に、その才能はロシアの文学界に広く知られるところとなった。
古いロシアの地主貴族の家に生まれた退役軍人を父に、ピョートル大帝の寵愛を受けたエチオピア人将軍イブラヒム・ペトローヴィチ・ガンニバルの孫娘を母にもつ。
ロシア人とエチオピア人の混血で、縮れた髪の毛など特徴的な容貌を備えていたといわれる。
サンクトペテルブルクの外務院に勤めたが、詩の政治的な内容が批判され、追放。
プーシキンは政府の監視のもと、窮屈な生活を余儀なくされる。
その後カフカスやクリミアなど南方を旅し、「ボリス・ゴドゥノフ」や「エヴゲーニー・オネーギン」などの名作を残した。
1837年1月27日、若く美しい妻ナタリア・ゴンチャロヴァに熱烈に求愛した近衛士官ジョルジュ・ダンテスと決闘し、敗れ亡くなった逸話は有名。
遺体はミハイロフスコエ付近のウスペンスキー寺院の墓地に埋葬された。

■ 世界的コレクター、シチューキン&モロゾフとは

19世紀末から1920年代にかけて、フランス近代絵画の大コレクションがシチューキンとモロゾフという個人の実業家の手で形成されました。
ロシアのシチューキンとモロゾフはアメリカのバーンズ、イギリスのコートールドと並ぶ代表的なコレクターです。

 彼らの特徴は、19世紀末から第一次大戦前までという、他よりも比較的早い時期に作品を収集した点にあります。
1900年代初頭は、印象派がようやく認められはじめ、ゴーギャンやセザンヌが評価され始めた時期。
フォーヴィスムやキュビスムはまだまだ前衛的な存在でした。
にもかかわらず、二人は印象派や後期印象派の作家に加え、マティスやピカソなど、一般には評価の定まっていない芸術家たちの作品を積極的に購入する鋭い審美眼を備えていました。
また他のコレクションと比べてみても、平均的な作品の質の高さは専門家の折り紙つき。
シチューキンとモロゾフのコレクションに触れずに19世紀後半から20世紀初頭のフランス絵画を語ることはできません。

 コレクションはロシア革命によって国有化され、1948年からは、プーシキン美術館とエルミタージュ美術館に分割所蔵されて今日に至っています。


セルゲイ・イワノビッチ・シチューキン(1854年-1936年)

 

18世紀から続くモスクワ商人の家に生まれる。
シチューキン一族は主に繊維などで財を成し、流通業の実力者として活躍。
1890年代から近代絵画を集め始め、モネやルノワールなど印象派を中心にコレクション。
ゴーギャンやセザンヌなど後期(ポスト)印象派、そして最後にマティスとピカソにたどり着いた。
他人の意見に左右されず、ひたすら自分の目を信じ、当時一般には難解な作品を選ぶ先鋭的なコレクターだった。


イワン・アブラーモビッチ・モロゾフ(1871年-1921年)

 

モロゾフ家はもともと最下層農奴だったが、18世紀に絹製品の工場を作り、ナポレオンのロシア遠征の際に軍服を大量生産したことで一躍資産家となった。
1903年から収集を始め、ルノワール、モネなどの印象派から、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ボナール、さらにマティス、ピカソまでを購入した。
モロゾフは特にセザンヌとボナールを好んでコレクションした。


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