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トレチャコフ美術館
■ トレチャコフ美術館
Государственная Третьяковская Галерея / State Tretyakov Gallery移動派に好意を寄せ、その作品を購入することで画家達を経済的に支援していたモスクワの亜麻布商人トレチャコフ(1832-1898)が、自分のコレクションを公開する為に1874年モスクワに設立した。
それまでピョートル大帝以来皆の視線は西洋に向けられ、ロシアの美術は低く貶められていた。
そこで彼は国民の美術を生み出そうと努力し、これまでになかった「ロシア美術の美術館」を作ることを目指した。
何といってもこの美術館の嚆矢は、彼の構想に歩みを揃えるかのように形成されていた美術運動、ロシア美術史の中でも特筆に価する「移動派」の画家の作品が中心となっていることであろう。
その構想にはレーピンを初めとする移動派の画家たちが適任であったのである。
移動派を概観するのはこの美術館のみで事足りるほどである。
初めはラヴルシンスキイ横町の家族の住む家に増築して展示していたが、1881年からは自由に鑑賞できるようになった。
それ以来入場者が膨大な数に上ったのを機に、1892年に弟セルゲイのコレクションと共にモスクワ市に寄贈することが決まり、モスクワ市パーヴェル・セルゲイ・トレチャコフ家美術館と呼ばれるようになった。
しかし1898年の彼の死まで館長を務めた。
トレチャコフの死後、モスクワ市長下の委員会が運営に当たり、1905年画家のオストロウーホフが館長となった。
1913年には、有名な画家でもあり美術史家でもあるグラヴァリが選出された。
彼によって作品目録も出版され、展示内容の充実がなされた。
1925年に小美術館のツヴェトコフ美術館、ルマャンツェフ公共美術館絵画ギャラリーが、1929年にはオストロウーホフ・イコン美術館が統合されている。
その他、18世紀と19世紀前半のロシア美術の分館が建てられた。
現在の収蔵品点数は10万余にも及ぶ。
■主な収蔵品■
アイヴァゾフスキイ「虹」
イヴァノフ「民衆の前に現れたキリスト」
ヴァスネツォフ「アレヌーシュカ」
ヴェレシチャーギン「チムールの門」
クラムスコイ「トルストイの肖像」1873、「荒野のキリスト」1872、「名の知れぬ女」1883
ゲー「ペテルゴフで皇太子アレクセイ・ペトロヴィチを尋問するピョートル一世」
サヴラーソフ「ミヤマ烏の飛来」
スーリコフ「ベレゾフのメンシコフ一家」
ポレーノフ「モスクワの中庭」
レーピン「ヴォルガの船曳」「クールスク県の宗教行列」
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