上に戻る

ロマノフ王朝ニコライ2世DNA鑑定の謎・終焉を確認したDNA鑑定は間違いか?

ニコライ二世一家の最後

[ロマノフ王朝ニコライ2世]

ニコライは1894年に、ロシア帝国ロマノフ王朝の第18代皇帝ニコライ二世として即位したが、日露戦争で破れ、1917年の二月革命 (三月革命) で皇位を追われてシベリアのエカテリンブルクに流された。

翌1918年に、アレクサンドラ皇后 (当時46歳。ニコライ二世は50歳)、皇女オルガ (23歳)、皇女タチアナ (21歳)、皇女マリア (19歳)、皇女アナスタシア (17歳)、皇太子アレクセイ (14歳) と4人の従者とともにボルシェビキに処刑された (射殺、銃剣による刺殺、あるいは銃床の床尾による撲殺と言われる)。

目撃証言によれば、いったん埋められたが、白ロシア軍の接近に伴い遺体を隠ぺいするために、アレクセイと女性1人の遺体は灰になるまで焼かれ、他の9人の遺体はどこかに埋めなおされ、行方不明となったらしい。

自称アナスタシア

[アンナ・アンダーソン]

皇帝一家の遺体が発見されないということがいろいろな憶測を呼び、20世紀最大の謎の1つと言われる。

皇帝や皇女、皇太子が実は生き延び、国外へ脱出したという噂が飛びかった。

そして世界中から「自分は長いこと行方不明になっていた皇女アナスタシアだ」と名乗る女性たち第4皇女アナスタシアであると主張する女性が続出。

これは、イングリッド・バーグマン主演の映画[『追想』(1957年日本公開。原題は『Anastasia』)]にもなり、今でも勇敢な王女が生き残ったという風説は絶えない。

その自称アナスタシアで最も有名になったのが、米国人女性アンナ・アンダーソンさんである。

彼女は1938年にドイツの法廷に自分の出生の証明とニコライ二世の遺産の相続権を主張して訴え出、筆跡鑑定人や法医学者などの専門家がその訴えを支持する鑑定結果を出したが、1970年に証明不能であるとして棄却された。

アンナ・アンダーソンさんは1984年に死亡したが、後述するように1994年にDNA鑑定が行われ、アナスタシア本人ではないと証明された。

しかし今でもDNA鑑定された資料が本人のものでないと異を唱える人がいるらしい。

上に戻る

DNA鑑定の謎

そしてロシア帝国最後の皇帝となったニコライ2世と、その家族ほとんどの死亡を確認したDNA鑑定の結果は疑わしいという研究報告が発表された。

「今回の検査報告は、ウラル山中で発見された遺体の鑑定は粗雑な方法で行なわれており、無効である。」としている。

今回の報告書の執筆者の1人で科学者チームを主導した、スタンフォード大学の上級科学者アレック・ナイト氏は、「当初の鑑定は結論を急ぎすぎた。このような結果を出すことが妥当かどうか、科学コミュニティーが判断を下すべきだ」と主張している。

[アナスタシア]

1990年半ばにDNA鑑定結果を出した科学者たちは、この報告書に怒りを募らせている。

当時、DNA鑑定の一部を担当したカーネギー・メロン大学の主席研究者、ビクター・ウィードゥン博士は次のようにコメントしている。

「われわれが騙されていたとでも言うのだろうか。そんなことはあり得ないと思う。鑑定にあたったメンバーは正直で信頼できる人々だ」

ロシア帝国を支配し栄華を誇ったロマノフ王朝は、1917年のボルシェビキ革命で力を失い、皇帝ニコラス2世と皇后アレクサンドラ、それに10代から20代前半だった子供たちアレクシス、オルガ、タチアナ、マリア、アナスタシアはウラル山中に幽閉された。

目撃者によると、ある晩、銃を持った一団がやってきて、一家全員と侍医、三人の従者、それにアナスタシアのペットだったスパニエル犬のキング・チャールズを銃殺し、幽閉生活は終わりを告げたという。

1991年のソビエト連邦崩壊後、研究者たちがエカチェリンブルグ郊外の沼地から、9人の遺体を掘り出した。(978年にエカテリンブルクの歴史家のグループが皇帝一家のものらしい遺体 (約900個の骨片や歯) を発見したが、当時のソ連当局による没収や弾圧を恐れ、発表されたのはソ連が崩壊した後の1991年だった。皇帝一家の明らかな身体的特徴は不明だったが、法医学者が散乱した骨片から年齢、性別、身長を推定し、写真などから推定した彼らの身長と比較してマリアとアレクセイを除く皇帝一家9人(従者4人含む)の遺体である可能性を示唆した。)

上に戻る

ミトコンドリアDNA

ミトコンドリアDNA母方からのみ遺伝する鑑定の結果、4体の女性の遺体と、皇后アレクサンドラの親戚にあたる英国のエジンバラ公フィリップ[現エリザベス女王の夫君]との間に、遺伝的なつながりが確認された。

ミトコンドリアDNAは通常の細胞核内にあるDNAとは異なり、母親のDNAのみが子供に伝えられると言う特殊な特徴を持っており、例え近い親族でなくとも女系のみで繋がる親族であればそのミトコンドリアDNAは一致します。(ただし、ごく稀に突然変異の進行過程で一部微妙に異なることもあり)

[皇太子アレクセイ]

また、ミトコンドリアDNA鑑定により、成人男性の1体と、ニコライ2世の弟の掘り出された遺体との間にも関連性があることが分かった。

両遺体の2種類のミトコンドリアDNAが、まれな突然変異を共有していることが確認されたという。

そして、細胞核DNAの鑑定から、成人2体と若い女性3体の間につながりがあることが判明した。

なお、子供たちの遺体は女子3体しか見つかっておらず、皇太子アレクセイと末の皇女アナスタシア(あるいは三女マリア?)の遺体は現在も行方不明ですが、かつてアナスタシアである可能性が高いと言われたアンナ・アンダーソンについては、死後に同様のDNA鑑定を行った結果全くの別人であったことが判明しています。

これらの結果から、埋葬されていた遺体は皇帝ニコライ2世と皇后、4人の娘のうち3人、残りの4人はおそらく侍医と3人の従者だろうという結論になった。

皇子アレクシスと娘の1人アナスタシアの行方はわからない。

上に戻る

DNA鑑定の嘘?

これらのDNA鑑定に異議を唱えたのが、今回、『人間生物学年鑑』(Annals of Human Biology)1-2月号に掲載された研究報告だ。

スタンフォード大学とロシア科学アカデミーの遺伝学者を含む執筆者たちは、当初の鑑定において「標準的な法医学的鑑定の作業から大きく逸脱した行為」が行なわれており、「新鮮な」DNAおそらく研究者自身のものがサンプルに混入していたのではないかと述べている。

また、このように古いうえに損傷が激しい遺体を鑑定したにしては、詳細すぎる結果が出ていると指摘している。

「このような結果が出るということ自体、不純物が混じっていた証拠だ」とナイト氏は主張している。

当時の鑑定を行なった研究者の1人、英法科学局のピーター・ギル氏は、公式コメントを準備中だとして、代理人を通じて今のところノーコメントだと返答した。

しかしギル氏は、『サイエンス』誌で、ナイト氏の研究を「悪意に満ちた政治的なもの」だと評している。

カーネギー・メロン大学のウィードゥン博士は、鑑定結果の裏づけとなる点として、遺体が発見された地域は永久凍土のため、保存状態が良好だった可能性を主張している。

冷凍されていると、DNAが損傷を受けない場合が多いという。

しかしナイト氏は、この地方では夏にかなり気温が上がるので、永久凍土などあり得ないはずだと反論している。

「これほど無残な状態になった骨からそうした結果を得ることなど不可能だと分かっているからこそ、このような藁にもすがる発言がなされたのだ」と、ナイト氏は主張する。

最初の鑑定に関わった別の研究者は、仮に遺体のDNAに不純物が混入したとして、その状態でこれらの遺体とエジンバラ公およびニコラス2世の弟との関連が引き出せたという考え方に、驚きを隠し切れない様子だ。

「こんなことは偶然起こるものではない。そういう主張には、なにやら奇怪な陰謀説が関係しているとしか思えない」と、ニコラス2世と弟とのつながりを示すDNA鑑定を行なった米陸軍DNA鑑定研究所の主席科学者、トム・パーソンズ氏は述べている。

もし「誰か分からないがとんまな奴」のせいで不純物が混じったとしても、皇帝との関連性が証明されるわけがないという。

これに対してナイト氏は、当時の研究チームがそろって真実をねじ曲げたと非難しているわけではないと強調している。

「この人たちが結託して陰謀を企てたなどとはまったく考えたこともない」という。

しかし、誰かほかの人が遺骨に細工をした可能性を示唆して、「あらゆる種類の人々がこの問題に興味をもっていたわけだから」と述べている。

新しい報告書は、新説を裏付けるため、皇后アレクサンドラの姉で1918年にボルシェビキに殺害された大公妃エリザベスの指の鑑定結果に言及している。

この指は、1981年にエルサレムでエリザベスの柩が開けられた際に、ロシア正教会の僧侶が聖遺物として保存していたものだ。

骨のまわりに干からびた肉が残るこの指を新たにDNA鑑定したところ、皇后アレクサンドラの遺骨とされるものの遺伝的プロファイルとの関連を示す結果は得られず、「ここでも新たな矛盾」が生じたと報告書は述べている。

しかし、この指は少なくとも別の2人のDNAに汚染されていたことが分かったという、

上に戻る

スポンサード リンク

エルミタージュ美術館10倍活用術!!

copyright©エルミタージュ美術館展 10倍活用術!! All Rights Reserverd.