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アレクセイ・ミハイロヴィチ
アレクセイ・ミハイロヴィチ(アレクセイ・ミハイロヴィチ・ロマノフ)
(1629年8月19日 - 1676年1月29日 在位1645-1676)モスクワ生まれ。
モスクワにて自然死。
ロマノフ朝2代目のモスクワ大公。
ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフとその妃エウドキシアの息子。
短気で悪事を働いた者を容赦なく罰する一面もあったが明るく思いやり深い性格だった為「もっとも静かなツァーリ」と呼ばれ露の近代化を目指した有能な支配者とされている。
1649法典で農奴制の法的形成を完了。
1654からのポーランド・ロシア戦争の13年戦争で当時学問の中心地であったキエフを占領、東欧の覇権を確立する。
次の時代へ西欧文化・思想に触れる道を開いた。
1656戦費をまかなう為の通貨引下げやそれからの銅貨の乱発にたんを発した1662のモスクワでの暴動、1668ステンカ・ラージンの政府の重荷から解放するという反乱などもあったが鎮圧。
ウクライナに領土を獲得したことによりトルコと衝突していたが1676年1月29日、急死。
着手していた近代化と領土拡張はフョードルをへ末息子ピョートル大帝に引き継がれることになる。
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