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エリザヴェータ・ペトロヴナ
(Елизавета Петровна、エリザヴェータ・ペトロヴナ・ロナノヴナ、1709年12月18日 ‐ 1762年1月5日、在位1741年 - 1762年)
コロメンスコエ生まれ、サンクト・ペテルブルグにて病死
ロマノフ朝第6代ロシア皇帝。
父はピョートル1世 (ピョートル大帝)、母はエカテリーナ1世。
貴族に担がれ幼児のイヴァン6世を廃して即位した。
派手で遊び好き生涯独身生活で、内政をシュヴァーロフに任じ自らは舞踏会や演劇に没頭した。
対外積極策を推進しイギリスやオーストリアと同盟を結んでスウェーデン、ポーランド、オスマン帝国と対立した。
晩年の1762年にロシア軍はベルリンへ侵攻し、プロイセン王国フリードリヒ大王を敗北寸前にまで追込んだ(七年戦争)。
7年戦争への参戦に伴って設けられた“宮廷付属協議会”が内政についても政策決定機能を果たした。
子がいなかったため、妹アンナの子でドイツのホルシュタイン公ピョートルを皇太子に指名したが、両者は仲が悪かった。
社会的にはロシアの西欧化が進展してモスクワ大学(1755年)などが創設された。
生涯独身を通し、多くの男性愛人を抱えていたというが、初恋の男性の死を悼み、生涯、喪服で過ごしたことはよく知られている。
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